弁護士 秋山亘のコラム

2017.12.25更新

不動産売買における契約成立時期

 

(質問)

① 不動産売買に際して、話がまとまり買付証明書と売渡承諾書を交わしました。しかし、突然買主から「契約書調印はできなくなった。契約は白紙撤回する。」と言われてしましました。このような場合、当時者間の基本的合意はできているわけですから、契約成立を主張して買主に代金の請求ができないのでしょうか。

② ①の場合、逆に売主から、突然、「他に売りたいので契約調印はできなくなった」といわれ売買契約の締結を拒否されてしましました。私は、契約調印日を直前に控え売買代金も調達し、また、購入物件で歯科医開業をしようとしていたので開業準備のための機材を購入したりしておりました。このことは、売主にもだいぶ前から話しております。この場合、何とか損害賠償を請求できないでしょうか。

 

(回答)

① 契約の履行請求の可否について

 日本の民法では、契約書を交わすことを契約成立の要件とはしていません。従って、裁判での立証の話は別にすれば、単なる口約束でも契約は成立しているのが原則です。売買の場合、売り主の「○○円で○○を売ります」という意思表示と、「買います」という意思表示が為されていれば売買契約は成立したことになります。

 この原則に従えば、①のような場合にも、契約は成立しているように思えます。   

(2) しかし、不動産のような高額の物件を売買する場合には、裁判例も、契約成立を認定するには慎重な態度を示しており、買付証明書と売渡承諾書を取り交わした段階では、契約の成立を認めておりません。

 不動産取引における「慣行」を重視して、契約書への調印が為される時までは契約成立に向けた「確定的な意思は有していなかった」などとして、契約の成立を否定しております。

(3) このような裁判例に照らせば、①の事例でも、「契約の成立」までは認められていないわけですから、代金の請求まではできないことになります。

②損害賠償請求の可否

 では、契約の履行請求はできないとして、②のような場合、不誠実な相手方に対して何らかの損害賠償請求をできないのでしょうか。

このような場合、損害賠償の請求はできるものと思われます。

裁判例は、契約締結に至らなくとも、契約交渉に入り、交渉が進んで基本的な合意に至った段階には、その契約交渉の成熟度に応じて、契約の相手方には、信義則上の「配慮義務」「説明義務」「誠実交渉義務」などが生ずるとしています。

「配慮義務」とは、相手方の人格・財産に損害が生じないよう配慮する義務、「説明義務」とは、契約締結に関して相手方に不都合な事由がある場合にはこれを積極的に開示し説明する義務、「誠実交渉義務」とは、従前の交渉経緯を踏まえて契約の成立に努めるべき義務のことです。

これらの義務に反した場合、不法行為による損害賠償の請求ができます。

本件では、売り主が資金調達や開業準備を進めていることを知っていながら、突然、売主に対し売却を拒絶したわけですから、誠実交渉義務や配慮義務に反しているといえます。

従って、買主は、売主に対し、調達資金の利息分や開業準備費の一部について損害賠償の請求ができます。

投稿者: 弁護士 秋山亘

2017.12.18更新

平成17年最高裁判例と退去時の修繕費負担特約

 

<質問>

私は、大家さんから家を賃借し、敷金として35万円を交付していましたが、賃貸借契約の終了により、借りていた家を出て、大家さんに対して敷金の返還を求めました。

しかし、大家さんは、退去時の原状回復義務に関して、賃貸借契約書では「生活することによる変色・汚損・破損」に対する修繕・補修費が賃借人の負担する旨の条項があるとして、敷金から家の補修費用として30万円を差し引いた5万円しか返還してくれませんでした。

大家さんは、通常の使用に伴う損耗についての補修費用まで敷金から差し引いているようですが、そこまで賃借人である私が負担しなければならないなんて納得できません。残りの30万円も返還してもらうことはできないでしょうか。

 

<回答>

1 敷金 

 不動産賃貸借成立の際には、通常、敷金と呼ばれる金銭の授受が行われます。

その目的は、借家契約の期間が満了して賃貸借契約が終了する時に、支払の滞っている賃料債務や建物に関する損害賠償債務を担保することにあり、延滞賃料や損害賠償額を控除して、残額は借家人に返還されます。

2 原状回復

賃貸借契約が終了し、借りた家を貸主に返す場合、借主は、借りた家を原状回復して返す必要があります(民法616条、598条)。

もっとも、ここでいう「原状回復」とは、借りた時の状態と同じに戻さなければならないという意味ではありません。借りた借家が、通常の用法で使用していればそうなるであろう状態であれば、「原状」にあたります。借家契約は、その借家を利用することが契約の本質的な内容ですから、通常の使用に伴う消耗は当然に予定されていることであり、損耗以前の状態にまで回復させることは民法は予定していないのです。

借りた家が通常の用法で使用していればそうなるであろう状態以上に痛んでいた場合には、借主は、借りた家を通常の用法で使用していればそうなるであろう状態に原状回復しなければなりませんが、その場合、通常は、補修費用を敷金から差し引くという形で清算されます。

本件では、通常の使用に伴う消耗についての補修費用まで敷金から差し引かれているということですが、上述したように、そのような補修費用は、本来、借主が負担すべき費用ではありません。そこで、原則として、借主は残りの30万円も返還してもらうことができます。

3 通常の使用に伴う消耗についての補修費用を賃借人に負担させる旨の特約の効力

 もっとも、賃貸借契約の際に、賃貸人と賃借人の間で、通常の使用に伴う消耗についての補修費用を賃借人に負担させる旨の特約がなされることがあります。

このような特約の効力については、有効であるか無効であるかという議論がなされてきましたが、最高裁は、平成17年の判決(平17.12.16第二小法廷判決・判例タイムズ1200号)において、一般的に特約を結ぶこと自体は民法90条の公序良俗違反に該当ぜず必ずしも無効とはならないとしつつ、特約に関する合意の成立要件を極めて厳格に解する立場をとることを明らかにし、結論としては、特約の成立を認めませんでした。

すなわち、最高裁は、このような特約は、賃借人に予期しない特別の負担を課すものであるから、賃借人がそのような特約の具体的な内容を明確に認識できるようなかたちで合意された場合のみ特約が成立するとしたのです。

 そこで、本件でも、上記のような特約がなされており、しかも、賃借人が補修費用を負担することになる通常消耗の範囲が、賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、賃借人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなどのような場合には、右特約は有効と解されます。そして、その場合には、賃借人は特約に従って、通常の使用に伴う消耗についての補修費用も負担することになりますので、残りの30万円の返還を請求することはできないということになります。

4 もっとも、前記判例の事案は本件と同様の事案ですが、賃借人の負担とされている修繕・補修の範囲・場所について、賃貸借契約書の別表である修繕費負担表で、襖紙、障子紙について「汚損(手垢の汚れタバコの煤けなど生活することによる変色を含む)・汚れ」、各種床仕上材・各種壁・天井等仕上材については「生活することによる変色・汚損・破損」に対する修繕・補修費が賃借人の負担とする旨が定められておりました。

しかし、最高裁は、上記のような条項では「賃借人が補修費用を負担することになる通常消耗の範囲が、賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているとはいえない」として、特約による賃借人の修繕費負担を認めませんでした。

上記の定めでは、「生活することによる変色・汚損」も賃借人負担とすることが書かれており、通常損耗についても賃借人が負担することが契約書でも書かれているように思われますが、最高裁は、上記のような書き方でも特約の成立を認めませんでした。

したがって、上記の最高裁の判断を踏まえると、修繕費負担の特約の成立が認められるためには、賃借人が退去するときに負担すべき修繕の範囲及び負担の程度が具体的に認識・予測できるほど一義的に明確にかつ具体的に契約書に明記されている必要があるということになります。すなわち、少なくても、契約書において、賃借人が負担することとなる通常損耗(通常の日常生活を送っていても生じる建物の傷み・汚損)の程度、通常損耗により補修すべき範囲、そして、賃借人が負担すべき修繕費の額若しくは計算方法などを明記した上、口頭でも十分説明をしておく必要があると思われます。

4 消費者契約法10条

 消費者契約法には、民法の規定の適用による場合に比べて消費者に不利な条項で、消費者の利益を一方的に害する契約は無効とする旨の規定があります(消費者契約法10条)。上記3で述べた特約は、民法の適用による場合よりも賃借人(消費者)に不利であるといえ、この規定によって無効になるのではないかという見解もあります。この点についての裁判所の判断はまだ明らかになっておらず、今後の動向が注目されています。

投稿者: 弁護士 秋山亘

2017.12.11更新

賃借人による敷金と家賃の相殺の可否

 

<質問>

 私は、店舗を借りて飲食店の営業をしている者ですが、賃貸借契約の際に、敷金として6ヶ月分を差し入れています。営業が不振なので、当面、敷金の一部を賃料の支払いに充てたいと考えております。家主に敷金と家賃の相殺を請求することは可能でしょうか。

 

<回答>

1 この論点は、賃借人が家主に預け入れた敷金の返還請求権の発生時期と関連する問題ですが、最高裁昭和48年2月2日判決(民集271・80)は、敷金返還請求権の発生時期について、建物の明け渡し時だと判示しています。

 これは、敷金の法的性質について、賃貸借契約の継続中の賃料だけでなく、賃貸借契約が解除等により終了した後の賃料相当損害金、また、建物の原状回復費用など明け渡し時までに賃借人が負担すべき一切の費用を担保するために預け入れられているものであることを理由とします。

 したがって、賃貸借契約の継続中においては、賃借人の家主に対する敷金返還請求権の弁済期が未だ発生しておりませんので、賃借人の方から家主に対し、敷金の一部と賃料との相殺を請求することは出来ません(大判大15年7月12日・民集5・616)。

 なお、上記の点は賃貸借契約書において相殺禁止の条項が入っていなくても同様です。

 もっとも、当然のことですが、家主が相殺を同意すれば相殺することも可能ですので、賃借人と家主の個別的な合意書を締結することによって相殺することは出来ます。

2 では、賃借人が家主に対し、一方的に敷金と家賃との相殺を通知した場合に、賃借人は、どのような不利益を被る事になるのでしょうか。

 前記の通り、建物明け渡し以前における家賃と敷金の相殺の主張は無効ですので、家主としては、賃料の不払いを理由に賃貸借契約の解除をすることができます。そして、賃料未払いの期間の長さや賃借人の対応に鑑みて、賃借人と賃貸人の信頼関係を破壊するとの事情が認められれば、契約解除は有効とされます。

 この点、最高裁昭和45年9月18日(判時612・57)も、敷金16万円、未払賃料20万円、賃料1ヶ月8万円と不動産賃貸借契約において、敷金と未払賃料を相殺すれば賃料の滞納は1ヶ月分にもならないという事案において、「賃貸借契約において敷金が差し入れられていたとしても、敷金の性質上、特段の事情がない限り、賃料延滞の場合、賃料延滞を理由として契約を解除することのできないものでないことは明らかで、したがって、右解除は適法であり、・・(中略)・・・、右解除が信義則に反し権利濫用であると認めることは出来ない。」と判示して、解除を有効と判示しております。

 したがって、賃借人としては敷金を預け入れている場合においても、一方的に敷金と賃料の相殺を通知することは、賃貸人から契約解除をされてしまう不利益を被ることが予想されます。

3 なお、建物の明け渡し後において、賃貸人に対する敷金返還請求権と未払賃料を相殺する(或いは敷金と未払賃料が当然に充当される)ことは可能です。

実際にも、賃借人としても賃貸借契約の解約を考えているが、賃貸人側に敷金の弁済能力がなく、預け入れている敷金が返還される見込みがないという事案では、解約申し入れの数ヶ月前から賃料の支払いを停止し、賃貸借契約の解約を申し入れて、建物の明け渡しを行った後に、敷金と未払賃料を相殺する(或いは当然に充当される)という方法で預け入れ敷金の回収を図るという方法が実務上行われております。

投稿者: 弁護士 秋山亘

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