賃貸人の破産と賃借人の相殺権について
(事例)
Xはその所有ビルを家賃1ヶ月10万円、敷金50万円でAに賃貸していたが、賃貸人Xは破産をし、破産管財人が選任された。
(1) このような事例で、Aは、預け入れ敷金と今後の賃料の支払い義務と を相殺することができるか。
(2) また、Aが敷金とは別に、Xに対し売掛金債権100万円を有していた 場合、賃料の支払い義務と相殺することを破産管財人に対し主張すること ができるか。
(3) 破産管財人は、破産法上、賃貸借契約を一方的に解除することが認められているか。
(4) (2)のケースで、抵当権者が物上代位権に基づいて、賃貸人の賃料債権を差し押さえてきた場合に、賃借人は、(2)の相殺を差押債権者(抵当権者)に対しても主張できるか。
(回答)
この度、破産法と民事再生法が大きく改正され、その結果、賃貸人や賃借人が破産・民事再生した場合における、賃貸借契約法上の法律関係も大きく変わりました。
そこで、今回は、賃貸人が破産した場合における賃借人の相殺権、そして、敷金返還請求権の保護の制度について、ご説明します。なお、賃貸人が民事再生した場合については、破産をした場合とは異なる法律関係となり、また、異なる賃借人保護の手続き取られておりますので、次回にご説明致します。
(1) 敷金返還請求権と賃料債務との相殺の可否
破産法上、債権者は、破産開始の時において、破産者に対して債務を負担している場合には、破産者に対し有している債権と相殺をすることができます(新破産法67条1項)。
破産者に対し有する債権は、弁済期が未到来の期限付きの債権や解除条件付き債権(未確定の一定の条件が発生しない限り有効な債権)でもよいとされておりますが、停止条件付きの債権(未確定の一定の条件の成就をもって初めて発生する債権)の場合には、破産開始時までに条件の成就がなされていない限り相殺することができないとされています(新法67条2項)。
そこで、賃借人が賃貸人に対して有する将来の敷金返還請求権がここに言う相殺をなし得る債権に当たるかが問題になります。
しかし、最高裁判例(昭和48年2月2日)は、敷金債権の法的性格は、建物明け渡し時までの一切の賃料債権、賃料相当損害金、原状回復費用等を担保するものであるから、これらの一切の賃貸人の賃借人に対する債権を控除した上、残金があれば、建物の明け渡しの完了が為されたときに初めて発生する債権であるとして、停止条件付き債権であると判示しており、賃借人の破産者(賃貸人)に対する相殺権を否定しております。この点は、改正破産法においても変更はないところです。
したがって、賃借人は、破産管財人の賃料の支払い請求に対して、破産開始後も、将来の敷金返還請求権と今後の賃料の支払い義務とを相殺することはできません。
もっとも、このような取扱に対しては、賃借人は一方的に賃料の支払いを請求され支払わなければならないのに敷金返還の保証がないのは不合理だとする批判がありました。
そこで、改正産法は、将来賃借人が明け渡しを完了したときに発生する敷金返還請求権を確保するために、破産管財人に対する賃借人の賃料の寄託請求の制度を設けました。
これは、賃借人が賃料を支払うときに、破産管財人に対し、預け入れ敷金額の限度内で弁済した賃料を破産管財人が預かるよう寄託を請求した場合には、破産手続きが終了して最後配当が為されるまでの期間までに、賃借人が賃貸借契約を解約するなどして建物明け渡しを完了させた場合には、破産管財人は、寄託を受けた金額の範囲内で返還義務のある敷金を賃借人に返還しなければならないと言う制度です。これにより、賃借人の敷金返還請求権が保護されるよう配慮されました。なお、破産手続開始後から最後配当が為されるまでの期間については、破産事件の規模や複雑生にもよりますので一概にはいえませんが、早ければ半年程度、長い場合には2年以上かかる複雑な事件もあります。
もっとも、この寄託請求の制度によっても、最後配当の時までに敷金返還請求権が現実化しなかったとき(具体的には、当該不動産に担保価値を超える多額の抵当権が設定されており任意売却も纏まらないなどの理由で破産管財人が破産財団から当該不動産の所有権を放棄したが、それまでに、賃借人も賃貸借契約の解約・明け渡しを行わなかった時などが想定されます)には、寄託した金額は結局は一般債権者に対する配当に回されて、破産手続きが終了しますので、寄託金も返還されないことになります。
なお、賃貸人が破産をしても、当該不動産が抵当権者の競売手続きによらずに破産管財人によって任意売却されたときには(破産事件のうち大多数は抵当権者による競売手続きよりも任意売却により不動産の処分がなされます)、新賃貸人に敷金返還請求義務が承継されます。もっとも、敷金や保証金名目で賃料の何十ヶ月分も預けている場合には、預け入れている金銭の全額が承継されるのではなく、実質的な敷金相当部分に限定されて承継されます(実務的には特殊なケースは別として事業用の通常の賃貸借のケースでは家賃の1年分相当額が敷金相当部分として承継が認められる部分の上限かと思われます)。
また、抵当権者の競売手続きによった場合でも、抵当権設定前に契約した賃借人など賃借権を抵当権者に対抗できる場合には、競落人に対し、敷金返還請求権を主張できます。
したがって、破産管財人への寄託請求の制度の実益があるのは、賃貸人破産のケースでは、ある程度限られた場面になるでしょう。
(2) 売掛金との相殺権
改正前破産法の下では、賃借人が賃料支払い債務を受動債権として賃貸人に対する債権とを無制限に相殺できるのかについては、旧法103条1項前段の解釈をめぐり、見解が別れておりました。
しかし、改正破産法では、賃借人の相殺に対する期待を保護すべきとの考え方から、賃借人の相殺対象の債権を「破産宣告月及び翌月の賃料について相殺できる」とする旧法103条が削除された結果、賃借人の賃料を受動債権とする相殺は無制限に認められることになりました。
したがって、本件では、賃借人は10ヶ月分の賃料債務と100万円の売掛金債権を相殺することで、10ヶ月分の家賃を支払わずに本物件を賃借することができます(11ヶ月目から3ヶ月分は敷金返還請求権を確保すべく破産管財人に賃料を弁済する際に寄託請求をすることになります)。
(3) 破産管財人による契約解除について
(2)のような場合、破産管財人の方からは、賃料が入らないという理由で、賃貸借契約を解除されるのではとの疑問を考えられるかもしれません。
この点、確かに、旧破産法では、破産管財人による賃貸借契約の一方的な解除権が認められておりました(旧法59条)。
しかし、改正破産法では、賃借人が第三者に対する対抗力を具えている場合(建物賃貸借であれば建物の引渡が為されている場合、土地賃貸借であれば借地上の建物登記がある場合がそれぞれ第三者対抗要件を具えている場合にあたります)には、破産管財人は、賃借人に対して、一方的な解除権を行使することができないとされました(新法56条1項)。
(4) 抵当権者の物上代位権による賃料差押えと相殺主張
以上のように、賃借人の相殺権は、新法下では大幅に保護されることとなりましたが、この相殺の主張が許されるのは、あくまでも賃借人と破産管財人との法律関係についてです。
(4)のケースのように、抵当権者が物上代位権に基づいて、賃貸人の賃料債権を差し押さえてきた場合に、賃借人が売掛金と賃料との相殺の主張を抵当権者に対しても主張できるかについては、賃借人の売掛金の取得時期が抵当権の設定よりも前か後かによることになります。
すなわち、売掛金の取得が抵当権の設定後であれば、賃借人は相殺の主張を差押債権者(抵当権者)に対して対抗できない(最判平成13年3月13日・判時1745号69頁)のに対し、抵当権の設定前であれば対抗できます。